遠江国敷知郡Y村(現静岡県湖西市)の大工の家に生まれる。
1890年に東京で開かれた内国勧業博覧会で外国「見本通りじゃなくてもいいよ、自分のアイデアで」。
木材のフラワースタンドづくりに取り組む子どもたちに、指導者の声が飛ぶ。
工作を通じて佐吉の創意・工夫の精神を学ぶ湖西少年少女発明クラブの活動風景だ。
クラブは一九七六(昭和五十二年に地元青年会議所の主導で誕生、地域の有志らが二週に一度、周辺市町に住む小四中一の子どもを指導する。
四年間在籍し、指導側に回った鷲津中二年の土屋昂敬君盃)は「将来はモノづくり関係の仕事に就きたい」とほほ笑む。
製織機を見て「豊田式木製人力織機」を発明。
1924年には当時世界一と評価される「G型自動織機」を完成させた。
闘歳の生涯を自動織機の改良・発明にささげ「発明王」と呼ばれる。
英企業への織機特許の売却代金を元手に長男の喜一郎が自動車事業を始め、現在のトヨタ自動車グループの始祖となった。
自ら旧経団連会長を務めた経験を持つSの決断は、財界に驚きで迎えられた。
「トヨタ出身の会長がニ代続けば、社内におごりを生むと考えたんだろう」。
ある財界首脳は、こう推測する。
「トヨタ、トヨタは何としても避けたい」。
愛・地球博(愛知万博)の閉幕まであと五日と迫ったニ○○五年九月ニ十日。
博覧会協会会長を務めるT・S(型トヨタ自動車名誉会長は、会場近くの一室で親交のある財界の重鎮、平岩外四と向き合った。
固辞したのは、O・Yだありトヨタ自動車会長の退任にBう、日本経団連会長のポストだっ純利益で一兆円以上稼ぐトヨタが、日本経済を代表する会長職を引き続き務めることに、財界内に目立った異論はなかった。
だが、Sのひと言でトヨタ副会長のT・Fは候補から消えた。
「結論を急ぐことはなど。
ニ○一○年に目標を置いた経営計画が議題となった○六年一月のトヨタの取締役会。
北米や中国などに次々と建てる新工場の計画が披露されると、Sがぼつり感想を漏らした。
トヨタのさらなる成長を描き、意気上がるはずの場は静まり返った。
居合わせた役員は「目の前の課題に真剣に取り組み、先のことには柔軟性を持てというメッセージ」と受け止めた。
豊田家が持つトヨタ株は、わずか2%にすぎない。
Sでさえ、大株主上位十位に顔を出すことはない。
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